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 今日は日中は蒸し暑かったのに帰りは雨上がりだからか、寒かった。

 

 

風に舞いあがるビニールシート (文春文庫)

風に舞いあがるビニールシート (文春文庫)

 

 

 森絵都さんの作品はYA小説「カラフル」しか読んだことなかったけど、最新刊がおもしろいって書評を読んで図書館で借りようと思ってたけど貸出中。予約が何人かついててまだ順番が回ってこなさそうなので、上の短編集を借りた。YA小説「カラフル」とは違う渋い大人の文体。すごく描写が細かい。千原ジュニアとかケンドーコバヤシのすべらない話のような、細かさがずっと続く。読む側も神経が細かくなるので、登場人物の繊細さや揺れについて行くことができる。ただ、ちょっと疲れたな。

 この中で好きな作品は「鐘の音」。仏像の修復師の話。プライドの高い修復師と同僚が久しぶりに出会って25年前のできごとを話すという内容。実はその時にあったできごとが真実と違っていたことがこの時、判明する。

 「自分の過去を解体し、誤った情報を除去して、正しい新補を埋めこんでいく。ようやくそれを全身で受けいれたその刹那、潔(プライドの高い修復師の名前)は思わず煙草を地に落とし、空いた右の手で自分の左腕を、左の手で右腕を、軋むほどに強く抱きしめていた。」

 何年後、何十年後かにほんとのことがわかるってなかなかないだろうけど、想像しただけでゾクゾクする。頭で塗り替えようとしても真実が理解できなかったり、逆に感覚でまるごと附に落ちたり。

 

 今日は天王寺へ。ヨガ教室と職場の人への送別のプレゼントと妹の誕生日プレゼントを買いに行った。ヨガ教室はいつもやってる流派じゃないけど、何回か受けたことがあるクラスで気持ちよかった。あんまりこだわらずになるべく行ける時に行こうと思って受けてみた。陰ヨガっていうひとつのポーズを3~5分そのままキープして、筋肉と筋肉の間にある筋膜をほぐして伸ばす。普段、なかなかしないことをすると気持ちいいよ。

 何度もここに書いてるけど、ヨガはポーズを覚えたら、あとは家でいくらでも一人でできる。だけじゃなくて、教室へ行くと先生がいて生徒がいて。人間関係に距離はあるけど(あるほうがいい)知らない間柄じゃないからなんとなく共有してて、家と職場以外にこういうスペースがあると自分の中で風通しがよくなるような気分になる。前、ヨガを一緒に受けてた人が家族や仕事場での自分よりももっと素になれるから、クラスを受けるのが好きだって言ってた。すごくよくわかる。別にヨガじゃなくて料理教室とかライブ見に行くとかも同じだと思う。

 

 何かを埋めたいじゃなくてゆとりができたって思うことにしよ。

 

 職場の女の子たちの一人がとてもやることが早くて、できあがる量がtoo much。だいたい3倍くらい多めにやってくれる。なので仕事を頼んだ後、どれくらいtoo muchなのかとても楽しみ。例えば紙を20分で100枚切ってって頼んだら300枚は切ってる。で、実はこれ、私もそういう傾向がある。私は1.5倍。仕事によってはもちろんそんなやらなくていい場合があるし、「早くやるのはいいけどもうちょっと丁寧にしてよ」って言う場合もあるけど、ひたすら黙々、テキパキとやってるのを見るのはとても気持ちいい。

 

 ちょっと前に時間をやり過ごしたいみたいなことを書いたけど、ちょっと違ったかも。時間が早く過ぎてほしいとか、早く歳とりたいとかじゃない。何でもいいから何かを何かで埋めたいって感じ。でもヨガの考え方だとたぶん、無理やり埋めずにあるがままを受け入れましょうってことになるんだろうな。

 

 昨夜、寝る前にスマホが鳴ったのでみたら、この仕事で出会った大好きな先輩からのメールで、久しぶりにどこか連れてってくれるのかなと読んでみたら、4月末で退職しました、って書いてあった。噂話はごめんやから誰にも言わんといてねって。

 先輩は去年の4月から大阪の北にある職場に異動して、家から2時間かけて通勤してた。いろいろ事情はあるんだろうけど、何も聞いてない。でも去年も何度か本屋さんのイベントみたいなのとか誘ってくれたりして、その時は元気そうだった。今の仕事以外にやりたいことができたとか、体調が悪くなってとか、しょうがないけどもっといろいろ一緒に仕事したかったな。誰にも言わんといてって前の職場のビール部の人たちとか、仲のいい人たちで送別会したいけど嫌がるかな。難しい。

  今日は休み。午前中に祖母の四十九日の法要に行きました。祖母の仏壇のある叔母の家まで。私は父母とは別に法要のあとランチに参加せず、すぐ家に帰る予定だったのでひとり自転車に乗って行った。久しぶりに自転車に乗ったな。タイヤの空気だいぶ減ってた。

 

かわうそ堀怪談見習い

かわうそ堀怪談見習い

 

 

「恋愛小説家」という肩書きを書かれた小説家が、恋愛小説を書いた覚えはないけど、もう二度と今みたいな小説を書かないようにしよう、怪談を書こうと、ネタを収集するためにいろんな人に出会う中で、不思議なできごとに遭遇したり思い出すという内容。 

 「小説家」ってシンプルに呼ばない。「女性」の小説家が「男女」の出てくる作品を書いたら「恋愛小説家」と呼ばれてしまう。「女流作家」よりひどいかも。昔の差別的な感じが今も無意識に残ってるんかな。

  私はホラー小説やサスペンスなどのドキドキが苦手で、柴崎さんが書く怪談ってどんなだろうと全然期待せずに読んでみた。で、読み始めてすぐ気づいたんだけど、柴崎さんは「ここではないどこか」「今ではないあの時」を文章であぶりだす天才。今回の怪談みたいな、いるようないないような描写が怖い。じわじわきた。でも怖いだけじゃなくて、西日が射しこむ電車の中で六角形の光がきらきらする描写とかきれい。すごい好き。

「感情が乱高下するようなことは、日常生活でも、小説の書き方でも、得意ではない。」という文章が出てくる。柴崎さんの作品の特徴。静かな淡いトーンの中で突然、ふわっと何かが目の前に現れる。今までなかったものが頭をよぎる。ロマンチックだよ。