朝のできごと

今日は朝から母が一人で天王寺の百貨店に行っていろいろ買い物したりランチしたりコーヒー飲んでくるということで、何時に出発するのか訊いたら「9時半くらいに家を出る」とのことでした。そのあと「昨日のお昼のポトフまだあるで。あと、昨夜のけんちん汁もあるし、ぶり大根も大根2切れあるし。何食べてもいいで。ポトフ食べるんやったら、ベーコン余ってるからそれ入れて食べて。」と言われました。もちろん、食べたければということだろうし、食べなくてもいいけど、片付けてくれたら助かるわぁって話。

私の今の生活はお昼ご飯が唯一、私が食べたい物を食べたいように料理して食べられるわけです。体調を考えたものやチャレンジしたいものを作ることができる。たまに晩ごはんを家族の意思と無関係に私が作りたいように作ることはありますが、あまったら当然、お昼にアレンジして全部食べます。でもポトフもけんちん汁もぶり大根も私が食べたいなんて言ってないし、私が作りたいように作ったものではない(ポトフとけんちん汁は母作。ぶり大根は母が材料を買ってきていてそれを私が料理した)。

私は魚以外のタンパク質は取りたくないし、できれば添加物が少ないものを食べたい。タンパク質を控えると私の場合はアレルギーが軽くなった。これ、話したんだけど家族はもう忘れたのか、忘れたふりしてるのか。私もせっかく作ってもらったんだしと晩ごはんに出てきてもありがたくイタダカナイと、と考え直して食べてました。添加物に関しては家族に話してないけど、おなかいっぱいになったら食べたくなくなった。これも私の場合。ごはん食べたのにチョコレート1個食べたくなるとかお茶漬け食べたくなるとかそういうのがない。添加物はおいしいけど味覚が鈍くなる。おなかじゃなくて舌で食べるようになる場合がある。

こういうことを「変なとこだけ神経質な人」ってことで無視されると、なんかあほらしくなってくる。私の話は信用してくれない。でもしかたないです。ほかの人が私と同じようにやって100%アレルギーが軽くなるとか「ケーキは別腹」がなくなるわけじゃないです。

ほかの家族は嫌いで食べないものがあって、それを母はなるべく作らないし、残してもOKだし。まあ、食べるってことが私にとってほかの人より大切になりすぎてるのは確か。食べるの大好き。早く世の中が肉を食べなくても健康的に生活できる、そういうのもアリってのが当たり前の常識になってほしい。人類は肉食べるなってことじゃないです。

話がそれてしまった。上記うんぬんはあるけど、お昼は自分で料理したい。別に母は「それだったらそうすれば」って言ってくれるにちがいないんだけど、私のことを余りモノ食べるのが好きな人ってことになってるのは確か。しかも私は食べ物残すの、余らせるのが嫌い。一人暮らしの経験上。

こんなとこにつらつら書かなくっても直接母に言えばいいけど、人の考えって共感できる場合とできない場合があるので、これらの経緯を話したところで、結局、私が「変なことだけ神経質」だから「お昼は別に自分で好きなように作ればいい」ってことになってしまう。これも今までの経験上。理解してもらおうとすれば話がおかしくねじれてしまい、ねじれたところを指摘すると「そんなこと言ってない」ってまたねじれる。で、最終的にそんな「たいしたことじゃない」から「好きにすれば」になる。ま、ちょっと記録と頭の整理として日記に書きました。頭の中でぐるぐるまわるのでね。正月の朝に家族一緒に雑煮食べなかったらこんなことになるのか、とまで考えた(ふだん朝は食べないので正月も食べなかった)。

正しいとか正しくないとかそういう問題じゃないしね。問題はほかにある。

要するに私がなんでも食べられるってなれば一番いいのです、って書いてみた。実際、なんでも食べるんだよ!腐ってるものとゴミ箱に入ってるもの以外は。